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2007年07月09日

鵺(ぬえ)から雷獣(らいじゅう)への変化

先に、鵺について記事を書く時に、Googleなどで検索をしたのですが、その中に、「鵺は雷獣と同一視されることがある。」というような記述を多数見かけました。

雷獣というと、以前、このブログの「三すくみ」 でも、児雷也の由来で取り上げたのですが、雷獣は、犬夜叉にも出ていたのでした。
(今回の記事では、鵺 (ぬえ) と言った場合、平家物語で、源頼政が第一回目に退治した怪物のことを指すことにします。)

犬夜叉 03.10 狐火 高橋留美子 小学館
雷獣兄弟 飛天と満天
犬夜叉03.10

雷獣も想像上の怪物なので、文献によりその描写は様々なようですが、それでも必ず一致する点があります。それは、「雷に関係した怪物である。」ということです。そこでこの観点から、平家物語の鵺 (ぬえ) の描写を見てみると、
東三條の森の方より、黒雲一むら立ち来て、御殿の上にたなびいたり。

となっています。鵺 (ぬえ) は黒雲とともにやって来るのですが、しかし、雨を降らせるわけでも、雷を起こすわけでもないので、これを雷獣とするには無理があると思います。

ところで、源頼政の鵺退治の話は、「源平盛衰記 16 三位入道芸等の事」 にも載っているのですが、この話では、頼政は、雷上動 (らいじょうどう) という弓を用いて、鵺を射止めます。

この、雷上動 (らいじょうどう) という弓は、中国の楚の時代の弓の名人の、養由基 (ようゆき) というという人が使っていたものなのですが、彼は700歳になって、この弓を託す人間が見当たらないので、娘の枡花女 (しょうかじょ) に託して亡くなります。そして枡花女 (しょうかじょ) もその命が尽きようというときに、日本の源頼光の夢の中に現れて、この弓を託したというのです。

源頼光は、大江山の酒呑童子を退治した英雄ですが、頼政は、頼光の五代後の子孫で、この雷上動も受け継ぎます。もしかすると、この雷上動 (らいじょうどう) という弓で、鵺を射止めたことから、鵺と雷とが関連付けられるようになったのかもしれません。

それから、鵺(ぬえ)の鳴き声なのですが、一般的に、「ひょーひょー」 と鳴く。とされているようです。しかし、源平盛衰記では鵺は、「ひい」や「ひひ」と鳴いています。そして、弓を射るときの擬音が、「ひょう」という音なのです。

もしかすると、鵺の「ひょーひょー」という鳴き声は、弓を射る時の、「ひょうど放つ」というような表現から転化したものかもしれません。

更に、頼政の鵺退治の話は、「太平記 12 広有怪鳥を射る事」 にも出てきます。しかしこの話では、頼政は主人公ではなく、隠岐次郎左衛門広有 (おきのじろうざえもんひろあり) という人が主人公です。

建武元年(1334)に、疫病がはやり病死する人が続出しました。しかも秋ごろから、紫宸殿(ししんでん) の上に、怪鳥が現れ、「いつまで、いつまで」と不気味に鳴いたものですから、これを退治しなければならぬということになったのです。

註:この部分の原文は次のようになっています。
元弘三年七月に改元有て建武に移さる。・・・中略 今年天下に疫癘 (えきれい) 有て、病死する者甚多し。是のみならず、其秋の比より紫宸殿の上に怪鳥出来て、「いつまで/\。」とぞ鳴ける。

元弘三年は、1333年のことで、建武に改元されたのは、正しくは、1334年1月29日のことですから、太平記の、元弘三年七月 (1333年7月) に改元された。というのは誤りなのですが、もしかするとこれは次のことがらに関係しているのかもしれません。

後醍醐上皇は、1332年に隠岐に流されたのですが、1333年の6月に、京都に戻り、再び天皇になります。この時に行ったのが、「建武新政」ですが、実質的にこの改革が行われたのが、7月というこで、太平記には、「元弘三年七月に改元有て建武に移さる。」と記されているのかもしれません。ですから怪鳥が鳴いたのは、建武元年(1334) の秋ではなく、元弘三年(1333) の秋が正しいのかもしれません。また、旧暦の秋は、7月.8月.9月頃を指しますから。元弘三年の秋は、元弘三年の七月頃ということになります。



この怪鳥を退治するに当たり、先人の例として、源頼政の偉業を紹介しているわけです。そこでその記述を見てみると、
近衛院の御在位の時。鵺と云う鳥の雲中に翔て鳴きしをば、源三位頼政卿、勅を蒙って射落としたり・・・。

という具合に、ここでは、「十訓抄 10.57 頼政鵺を射し事」と同じように、鵺は怪物ではなく、鳥として扱われています。太平記では、鵺(ぬえ・トラツグミ)は、単なる鳥として認識されていたことが窺えます。

さて、広有 (ひろあり) が退治した怪鳥について見たみたいと思います。まず、この鳥の出現の際の様子を見てみます。
八月十七夜の月 殊に晴渡りて、虚空清明たるに、大内山の上に黒雲一むらかかって、鳥鳴くことしきりなり。鳴くとき口より火炎を吐くかと覚えて声の内より電(いなびかり)して、其の光 御簾の内へ散徹す。

この怪物は、黒雲とともにやって来るばかりではなく、鳴くときに、口から火炎を吐いたかと思ったら、声とともに稲光がした。というのですから、これは雷獣の特徴を完全に備えています。おそらくこの怪物こそが、雷獣の原型ではないかと思います。

さて、この怪鳥の姿を見てみたいと思います。

頭は人の如くして、身は蛇の形なり。嘴の先曲がって、歯 鋸の如く生違(おいちが)う。両の足に長き距 (けづめ) ありて、利 (とき) 事 剣の如し。羽先を延べてこれを見れば、長さ一丈六尺なり。


というように、蛇の身体に翼がついているという点からすると、西洋のドラゴンのような感じなのですが、実際にモデルになったのは、中国の山海経に出てくる、雷神ではないかと思います。

山海経 13 内海東経
雷沢 (らいたく) の中に雷神あり、竜身で人頭、その腹をたたく。
raijin.jpg

この雷神に、羽をつければ、広有 (ひろあり) の退治した、怪鳥とほとんど同じになりますが、この怪鳥が、雷の性質を帯びたのは、同じ太平記の12にある、「大内裏の造営の事。付-聖廟の御事」 の影響を受けているのかもしれません。

藤原時平の讒言により大宰権帥 (だざいのごんのそち) に左遷された菅原道真が、憤死して、雷神と化して、清涼殿に雷を落とすという話です。

北野天神縁起絵巻 弘安本
北野天神縁起絵巻 弘安本

ところで、この広有の退治した怪物も、時代が下がり、江戸時代になると名前がつけられます。

以津真天 (いつまで)
今昔図続百鬼  鳥山石燕 (とりやませきえん) 1712-1788

いつまでも

広有が退治した怪物は、「いつまで、いつまで」と鳴いたので、鳥山石燕は、その鳴き声から、「以津真天 (いつまで)」という名前をつけたようです。

「以津真天」という漢字表記は、「いつまで」という読みに、漢字の音・訓を当てはめただけの万葉仮名です。たとえるならば、暴走族がガードレールなどに、夜露死苦 (よろしく) と書くのと同じようなものですね。
こうした万葉仮名をくずした「変体仮名」は、明治33年 (1900) に、現在の平仮名に統一されるまでは、ごく普通に使われていました。しかし、この変体仮名の廃止により、「いつまで」という怪物の名前も思わぬ変化をとげたようです。

以津真天 (いつまでん)
日本妖怪大全 水木しげる 講談社

いつまでん

鳥山石燕が、以津真天 と表記した時には、「かな」と同じものとして用いたのですが、現在では、変体仮名の廃止に伴い万葉仮名も使われなくなったので、「天」という漢字に、「で」という読みを充てたのでは落ち着きが悪くなり、「でん」という読みに変えられたのだと思います。

また、この水木しげる の絵図も、広有の退治した、
「頭は人で、身体は蛇で、嘴の先が曲がり、歯はノコギリのように、互い違いに生えており、両足に、長い距 (けづめ) があり、羽の長さは、おおよそ4メートル。」
という怪物とは、全く別な怪物になっています。まるで伝言ゲームのような変わりようです。更に、ゲゲゲの鬼太郎では、次のようになります。

ゲゲゲの鬼太郎 第12話『霊界からの着信音』
ゲゲゲの鬼太郎 以津真天

なにか、砂の惑星あたりにいそうな怪物になっていますが、アニメの中で、鬼太郎の父親の目玉おやじは、「時代が変われば妖怪の姿形も変わる。その生まれた理由もな。」 と説明していました。
まるで、アニメの制作スタッフのつぶやきのようでした。(^^)

更に、この広有の怪物退治は、格闘技ゲームの音楽のタイトルにもなっています。

stepmania 広有射怪鳥事 〜 Till When?

東方萃夢想 〜 Immaterial and Missing Power. 
(上海アリス幻樂団製作)
広有射怪鳥事〜Till When? - 作曲:ZUN、アレンジ:NKZ

Till When? というのは、この怪物が、「いつまで、いつまで」と鳴いたので、英語で、Till When? とシャレたそうです。

註:このゲームの基になっているゲームは、
東方妖々夢 〜 Perfect Cherry Blossom.
広有射怪鳥事 〜 Till When? - 魂魄妖夢のテーマ
(ATALUMさんに、教えて戴きました。いつもありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。2007/08/11)

また、「地獄先生ぬ〜べ〜」にも以津真天は登場しています。

以津真天 (いつまで)
地獄先生ぬ〜べ〜 第13巻 #105 妖鳥・以津真天の巻
原作:真倉翔・作画:岡野剛 集英社

地獄先生ぬ〜べ〜 以津真天

ぬーべー先生の「ようかい百科」によれば、
人のような顔に するどいキバ
尻尾は蛇で身体が鳥という
妖鳥--「以津真天」
屋根の上にとまり 「いつまで いつまで」 とわめく
戦乱の時代に多く現れたと
「太平記」や「今昔画図続百記」に書かれている

となっていますから、これは、太平記にかなり近い描写になっています。
そういえば、ぬーべー先生の本名は、鵺野鳴介 (ぬえのめいすけ) と言うのですね。漫画では、以津真天を、「俺も初めて聞く妖怪だが」 と言っていましたが、以津真天は先生の縁戚筋に当たる妖怪ではありませんか。(^^)

更に、「瞳のカトブレパス」 という漫画にも以津真天が登場しています。

以津真天 (いつまで)
瞳のカトブレパス 田中靖規 週刊少年ジャンプ 2007年 28号 集英社

瞳のカトブレパス 以津真天

ハクタクの説明によると、「幼児のような顔に、鳥の体 そして蛇の尾を持つ怪鳥!!」 とのことですから、「地獄先生ぬ〜べ〜」とほとんど同じ描写になっています。

白澤 (ハクタク)
瞳のカトブレパス 田中靖規 週刊少年ジャンプ 2007年 29号 集英社

瞳のカトブレパス 白澤

ところで、この白澤は、かなり有名な怪物で、和漢三才図会にも載っています。

白澤 (ハクタク) 和漢三才図会 獣類 38巻
和漢三才図会 39 白澤
三才図会云 東望山有澤獣、一名白澤能言語 王者有徳明照幽遠則至。昔 黄帝巡狩 至東海 此獣有言 為時除害

意訳
三才図会によれば、東望山に澤獣がいる。別名を白澤といい、言葉をよく話す。王者に徳が有り、明るく幽遠を照らす時にはその姿を現す。昔、黄帝が諸国を巡視して、東海に行った時に、この獣の言うことを聞いて、世の中の害を取り除いた。


この白澤なのですが、Wikipedia などでは、「山海経」に出ている。とあるのですが、山海経には白澤は出ていないと思います。(無いということを証明することは、大変難しいことです。もしかしたら僕の単なる見落としという可能性もあります。ですからもし、「山海経」の白澤が出てくる箇所を知っているという方は、是非その箇所をお教え下さい。以下は、山海経には、白澤は出ていないという前提で話を進めます。)

白澤が「山海経」に出ている。というようなことが、ネット上で広まったのは、もしかすると、次のサイトの記述によるものかもしれません。

では、その中国の文献のなるべく古いものを探していくと、白澤と呼ばれる存在はどういうふうに書かれているのか。『山海経』(せんがいきょう)と呼ばれる書物があって、そこにこの白澤という文字が出ています。
中略
ちょっと読んでみましょう。「東望山(とうぼうさん)」に獣あり。白澤と名づく。能く言語をなす。王者徳ありて明照幽遠なれば、則ち至る」とあります。

「新妖怪談義」第5回研究会(2006年1月19日)月齢19



この後半の「東望山に獣あり。白澤と名づく・・・」という記述は、和漢三才図会の、「三才図会云 東望有澤獣、・・・」の読み下しとほとんど同じです。おそらくこれは、「山海経」と「三才図会」を取り違えたのだと思い、更に、「大日本国語辞典 冨山房 初版大正4年」を見てみたところ次のようにありました。

山海経「東望山有獣、名白澤、能言語、王者有徳、明照幽遠、則至」


これを読み下すと、先のサイトの記述と完全に一致します。このことからしますと、「山海経」と「三才図会」は、明治の頃にはすでに取り違えられており、その筋の文献ではそのように記述されているのかもしれません。

ところで、瞳のカトブレパスには、白澤圖 (ハクタクズ) とありますが、「圖」 は、「図」 の旧字です。
この白澤圖というのは、白澤を模写した図という意味ではなく、和漢三才図会の説明でも少し触れられていますが、中国の黄帝が白澤に教えてもらったことを、描かせた図のことです。その図とは、世の中に害を及ぼす、おおよそ、11520種の妖怪を表した図であると言われています。
(雲笈七籤 (うんきゅうしちせん) 卷一百 紀傳部 紀 軒轅本紀)



ここからは、古典ではなく、江戸時代以降に流布した娯楽本の話になるのですが、当時「実録本」という有名人の伝記のシリーズがあったようで、その中に、石川五右衛門の実録本 「賊禁秘誠談 (ぞくきんひせいだん) 」 もありました。しかしこの本は発禁処分になったそうで、手写しの写本版によって流布したそうです。

ところで、石川五右衛門の父親は、「石川左衛門秀門 (いしかわさえもんひでかど)」 である。という説があります。石川左衛門秀門は一色家の家臣で、天正 (1573-1592) の頃に、現在の京都府野田川町にあった、幾地城 (いくじじょう) の城主だったそうです。といってもこの説はほとんど知られていないようで、Google で 「石川左衛門秀門」 を検索しても、4件しかヒットせず、しかも石川五右衛門に言及しているのは、2サイトだけでした。
また、「石川秀門」 で検索しても5件しかヒットしませんでした。しかしこちらは石川五右衛門をメインとするサイトが多かったです。

なぜ、唐突に石川五右衛門の父親の話が出てきたかと言いますと、実は、「石川左衛門秀門」は、実録本では、源頼政の鵺退治に登場する人物として描かれているのです。


七十八代近衛院の御宇に、仁平三年四月初めに化鳥 (けちやう) 現 (あらわ) れ、内裏の上を鳴ける。帝 おびえ玉さらせ給ふに依って北面守護の輩、昼夜相備、諸寺諸社にて高僧貴僧を集め、種々御祈祷有といへども更に印なきに依って、談して、詮義有て北面の内にて器量をえらみ、弓箭を以て鎮めらるぺしと評定す。其頃、北面の武士には石川左衛門秀門、佐藤兵衛常清、遠藤将監将遠、安藤武者友宗是、等は聞へ高く、就中石川が父、
兵衛蔵人秀重は、往期、雷(らい) を捕(とら) へし軽(かる) の大臣が子孫にて、弓法の術を伝へ在京の武士多く門弟となるその子なれば秀門宜しからんと・・・・

註: 七十八代近衛院は、七十六代の誤り。

つまり、近衛院を悩ます、怪鳥を退治する者として、石川左衛門秀門 が選ばれたということです。ここで面白いのは、その祖先は、「雷」 を捕らえた、「軽の大臣」 だという点です。この「雷」というのは、雷獣のことだと思いますから、鵺と雷獣の関連がここでも見られます。

ところで、この「軽の大臣」なんですが、この人は、中国で「燈台鬼」にされてしまった、遣唐使のことだと思います。広辞苑には次のようにありました。


とうだい‐き【灯台鬼】渡唐した軽の大臣が、額に灯台を打ちつけられて姿を鬼に変えられたというもの。その子吉備大臣が父を慕って渡唐し、灯台鬼にめぐりあったが、親と気づかず、鬼の示した詩によってようやくそれと分ったという。(源平盛衰記)


広辞苑では、子は、吉備大臣となっていますが、源平盛衰記を資料にしているわけですから、この場合、弼宰相とすべきだと思います。吉備大臣は違うキャラとして、源平盛衰記に登場していますので、混乱してしまいます。

燈台鬼
今昔百鬼拾遺 鳥山石燕 (とりやませきえん) 1712-1788

燈台鬼 今昔百鬼拾遺 鳥山石燕

話が少しそれましたが、ではなぜ、石川左衛門秀門 が、怪鳥退治に登場しているかといいますと、それは源平盛衰記に出てくる、「石川秀廉」 と読み方が同じだからだと思います。
源平盛衰記でも、源頼政の前に、石川秀廉が鵺退治を仰せつかるですが、腕に自身がないので辞退します。石川左衛門秀門 も源平盛衰記と同じように辞退して、その後追放されて、伊賀に流れ着いたということになっています。

石川左衛門秀門が、鵺退治を辞退した後に、源頼政がその任に就くわけですが、その事跡についても、石川五右衛門の実録本に記されています。(これを省略する実録本もある)
では、まず鵺の登場する様子を見てみます。

既に其夜も丑三つの頃に至りて、三の森の方より黒雲一むら舞下り、御殿の上にかかると見えしが、彼の怪鳥飛来り、紫宸殿の上でしきりに鳴ける。声は鵺に似たり帝(みかど) 其鳴を聞し召さるとひとしくおびえ玉さらせ玉ふ。宇治の大臣 大床に立ち、御脳(のう) 唯今なると仰に、頼政 つつ立ち上がり弓矢 追取、雲上を窺ひ見れば、声有て形は見へず、されども時々火炎の如き光りをはなつ・・・・

この、「火炎の如き光を放つ」というのは、太平記の怪物と同じで、雷獣の性質を完全に備えてしまっています。では、仕留められたその姿を見てみます。

検非違使(けびいし) の官人、松明(たいまつ)を以って、化鳥(けちょう) を見れば、大きさ五尺余りにして、胴の毛色、虎斑(とらのふ) のごとく、頭は猿のごとく、尾先は蛇のごとく帳(とば)り、四足有て虎のごとく、鳴声鵺に似たり、何とも名付ぺき様なき怪鳥なれば、うつろ船を拵へて死骸を淀川に流し捨る。


この石川五右衛門の実録本は、源平盛衰記を少しオーバーに脚色したものですが、更に、佐野義勇伝という本には次のような話があります。


応永十二年 (1405) 一月二十五日、会津の国守 芦名連高 (あしなつれたか) は 天上山 へと狩りへ行った。すると辺りが黒雲に覆われ雷鳴激発して、連高 (つれたか) の前に落雷し、馬廻りの家臣六、七人が微塵に裂かれて即死した。そして連高も鋭い雷声に心を打れて落馬して気を失ってしまった。

この知らせを聞いた鹿蔵は、
「これは、魔魅(まみ)のしわざに違いない。それがしが、雷の正体を暴いて、太守の御武徳を示すべし」と、弓を手に馬に飛び乗った。

雷声稲妻なお頻りにして、山中鳴動して夜の如し、雨は益々激しく降れども、鹿蔵は、雲間を睨みて、弓に矢をつがえ、二、三丁駆け上るに、電光パッと光ると同時に、磐石の落る如くの高鳴りして、円火 (えんか) 落たり。鹿蔵得りと弓を引き絞り、ヒョウと放って射たりければ、車輪の如く電光巡り、辺の大樹へ掻上るを、鹿蔵 逃さず二の矢を射かけ、なお飛び掛って、弓を振り上げハタと撃てば、火は散乱して、怪異 (あやし) の老獣、地に落ちるを、鹿蔵 刀抜き持って、一喝喚いて猛獣を突き立て切り込み刺し通すに、牛の哮 (たけ) る如く呻き狂い、猛獣ついに斃れければ、たちまち雨晴れ、雲散じ、日光 地に影さしたり。


この話は、源平盛衰記や太平記を換骨奪胎したものだと思いますが、次にこの怪物の姿の描写を見てみます。

大きさ一丈に余り、頭は白狐、胴は猿の如く尻尾 二つに裂けたり。
佐野義勇伝

叫び声が 「牛の呻くような声」であったりと、この怪物は、鳥の属性から完全に離れ、獣の属性へと移行しています。

佐野義勇伝では、鹿蔵がこの怪物についての考察をしていますので、それも見てみたいと思います。

ある唐の書に曰く、唐山済州南明の嶽に、昔、一人の仙人栖みて、その名を碩定原 (せきていげん) という。常に二匹の猿狐を使う。ある時、碩定原は、二匹の獣に向かい、「汝らその姓を二種に分つとも、今、この碩定原に使わるる時は、ともに我が四肢の要をなすなり。よってその二身を合体せしめて、一種となるか、我が仙術をもって任すや否や。両の獣、意に従う体なり。碩定原 やがて仙術をもって、両獣一身の形となしぬ。その面は狐にして骸 (むくろ) は猿の如く、尾は狐なり。碩定原名づけて仙公と呼ぶ。そののち碩定原 暇をとらせて南明が嶽を退かしむ。近く宋朝の代に到るまで、この異獣存命なして、伯州金渓山に栖みしという。

唐書すこぶる妄説多けれども、唐山にての例、これに挙げたり。然ど本朝の昔よりして、未だ仙公の栖みたるを聞かず。狐は千年を経つと白狐と成り、頭に北斗を戴きて、神通自在し、猿は五百歳を経ると狒々 (ひひ) と成りて、風を呼び雨を発すといえり。かかる変化を生ずる物はこの天地造化の中の妖怪なり、妖は則ち魔道にして風雨雷電を司る。この世に雷獣雷鳥のあれども強ちそれらの物に限るべからず、かような怪獣山にあって年古く存命する物は、魔獣の長と成りぬる事、深山幽谷にはまま有るべし。


おそらくこの考察は、作者の創作だと思いますが、ここに出てくる怪物は、9割方雷獣になっています。そして、次の尼子十勇士では完全に雷獣となっています。

鹿之助銀閣寺にて雷獣を捕らえること

鹿之助は、松永弾正久秀 (まつながだんじょうひさひで) の奴 (やっこ)となり名を早助 (はやすけ) と改め、いとまめやかに仕えければ、松永も、またなき者と思い侍に取り立てなば、ひとかどの役にも立つべきものと、士分になさんと勧むといえども、早助、なにぶん草履とりの外、役に立つものに非ずと、謙退(けんたい)し、ひたすら中間となりて時の至るを待ちける。

あるとき将軍義照公、銀閣寺へお成りありければ、大名・小名、威儀厳重に伺候して納涼の宴を催し給うときに、比叡山より黒雲一むら起こると見えしが、一声の霹靂天地も砕くるばかりに車輪の如き火の玉庭前 (ていぜん) に落ちて御殿へ駆け上がりければ、各々 将軍をとり囲み刀を抜いて追い払うに、この光にや恐れけん。庭上の大木の松の有りけるに登らんとするところを、松永の草履取り早助 (はやすけ) さいぜんより庭前に来り蹲踞 (うずくまり) てありけるが飛びかかってかの車輪のごとき物を無手 (むづ) と抱く。この時 日の光りは黒雲に乗りて上り早助に組まれたるものばかり残りける。この獣を遁れんと大きなる爪を以って早助につかみかかるを事ともせず、ついに押さえて用意の縄を以って戒めける。


この話では、佐野義勇伝よりも更に、怪物が卑属化しています。さて怪物の姿を見てみたいと思います。

頭は鼬 (いたち) のごとく、手足の爪恐ろしく、啼き声 ひせい(ムササビ) に似たりける。
尼子十勇士 雷獣
(早助、実は鹿之助。銀閣寺に於いて、雷獣を生け捕る)

そしてこの怪物は最期は、
雷獣は、うつろ船に乗せ、西の海に流しけるとぞ。

となっています。これは、平家物語や源平盛衰記の「鵺」を「うつろ船」に乗せて流した。ということを踏襲しています。

尼子十勇士では、雷獣は、イタチのような姿で、ムササビのような鳴声となっているわけですが、雷獣がイタチのような動物とされることはよくあるようです。次はその顕著な例です。

天保14年(1843)オランダ人が連れてきた 貂 (テン)
雷獣と表記されている。
雷獣 テン

イタチやテンがなぜ雷獣になったか? というと、落雷の後にたまたま、イタチのような小動物を見かけたためではないか? というようなことが、一般的に考えられているわけですが、どうも次の絵図なども関連しているように思います。

鼬 (てん) 
画図百鬼夜行 鳥山石燕 (とりやませきえん) 1712-1788

鳥山石燕 鼬-テン

これは、テンが火柱になっている図ですが、和漢三才図会の鼬 (イタチ) の項には、次のようにあります。

和漢三才図会 鼬 (いたち)

夜中有焔気高升如立柱呼称火柱其消倒処必有火炎蓋群鼬作妖也

夜中に焔気有り、高く升 (のぼ) り、柱を立てるが如し。呼んで火柱と称す。その消え倒るる処、必ず火炎有ると。蓋し群鼬 (ぐんゆう)、妖を作す也。


この火柱には稲光のイメージがあります。また、日野巌 の「動物妖怪譚」 には次のような記述があります。

動物妖怪譚 日野巌


狐 鼬 (いたち) の属 口より気を吐けば其の光如光、常に有る事也。(越後名寄)

狐 (附2)
アイヌ人の間にも狐が人をばかすという言い伝えがある。アイヌ特有のものかそれとも日本人から輸入した思想か判然としない。その言い伝えによると、大昔、貂神がこの地上に居住するために天から下って来ると、その頃、この世界の端に古くから住んでいた「世界の乱入者」という化物が居た。ある時貂の神の家を訪ねて、力競べを申し出た。そうして、いきなり貂神を捕えて火の中に投げ入れて焼いてしまった。化物は大いに喜んで、戸外に出ると、焼いた筈の貂が再び現われて、この化物を捕えて火の中に投げこんだ。然し化物は煙にばけて、逃げ出そうとすると、貂は之を吹き落として遮った。遂に化物は全く焼けて赤や白の灰になってしまった。


この話では、貂は天から下って来ます。そして、火に焼かれることはありません。どうもこれも、雷と関連があるように思えます。また、この火に焼かれないというのは、「火鼠」 を想起させます。

ところで、佐野義勇伝でも、この尼子十勇士でも、落雷の電光を、「車輪の如し」 と表現しています。これは、犬夜叉の飛天の滑車に通じるものがあるように思います。

犬夜叉 04.05 鞘を捨てる 高橋留美子 小学館
飛天の滑車
犬夜叉 飛天の滑車

最後に、雷獣の絵図を見てみたいと思います。

神なり (雷獣)
絵本百物語 桃山人夜話 竹原春泉 画 1841

絵本百物語 桃山人夜話 竹原春泉 雷
アナグマがモデルだろうか?

雷獣
図説 日本妖怪大全 水木しげる 講談社

日本妖怪大全 水木しげる 雷獣

犬夜叉の満天は、この絵図に近いように思います。

雷獣の弟、満天
犬夜叉 04.01 雷獣兄弟 高橋留美子 小学館

犬夜叉 04.01 雷獣兄弟

ゲゲゲの鬼太郎 第10話『荒ぶる神! 雷獣』
ゲゲゲの鬼太郎 第10話 『荒ぶる神! 雷獣』

「うしおととら」でも似たような工事現場の話があったと思います。
(その話は、「鎌鼬の話」では? との情報を、乙葉さん から戴き、確認したところそのの通りでした。乙葉さんいつもありがとうございます。)

ところで、今期のゲゲゲの鬼太郎の猫娘なんですが・・・・
ゲゲゲの鬼太郎 第五期 猫娘  

萌えが入っているんですが? まあ、歓迎しますけど・・・(^^)

以上から、鵺から雷獣への流れを見てみますと、まず平家物語で「鵺」 が怪物として登場し、次に源平盛衰記では、「鵺」 は、「雷上動」 という弓に射られます。次に、太平記で、「いつまで、いつまで」と鳴く怪物が現われ、これは口から火炎を吐きます。これが江戸時代以後、どんどん姿を変え、遂には、雷獣となります。ですから、雷獣というのは、江戸時代以後に生み出された、怪物であるように思います。

そして現在では、空を飛ぶ得体の知れない怪物は、「鵺」 と一括りにされることも多いようです。例えば、「図説 日本妖怪大全 水木しげる」 の「鵺」 の項には、藤沢衛彦氏の『妖怪出現年表』 が添えられているのですが、そこに、

元弘三年 (1333年) 七月に紫宸殿にの上で鵺が鳴いている。

との記述があるのですが、これは、今まで何度も見てきたように、「太平記」の「いつまで」と鳴く怪鳥のことです。これは、おそらく日野巌の動物妖怪譚 の「鵺」の項の、

元弘三年七月には紫宸殿上に鳴いて、大宮一の眠を驚かし(太平記)

という記述からとられたものだと思います。日野巌は、以津真天と鵺を同一視していたようです。

参照リンク

以津真天
妖怪図鑑 以津真天 ―いつまで―
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雷獣
妖怪古今録+白澤図 ゲゲゲの鬼太郎 第10話 雷獣

2007/08/05
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2007年07月05日

鵺(ぬえ) と 牛鶴鰻毛人(ニウホーマンマオレン)

らんま1/2 18.02 悪魔の正体 高橋留美子 小学館
ranma18.02.jpg

パンスト太郎は、八宝斉に産湯につけられたのですが、しかしそこが、

鰻と鶴を持って牛に乗った雪男が溺れたという、呪泉郷史上最悪の悲劇的伝説である、牛鶴鰻毛人(ニウホーマンマオレン)

だっために、悪魔のような姿になってしまいます。このように、色々な動物が混ざりあっている怪物は、色々あると思いますが、日本で最も有名なのは、鵺(ぬえ)という怪物だと思います。

うる星やつら ワイド版 04.11 平安編 参の巻 高橋留美子 小学館
uruseiyatsura04.11.jpg
ぬーちゃん は、鵺(ぬえ)の「ぬーちゃん」なのだと思います。

広辞苑で、鵺(ぬえ)の項を見てみると、

源頼政が紫宸殿上で射取ったという伝説上の怪獣。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎に、声はトラツグミに似ていたという。平家物語などに見え、世阿弥作の能(鬼物)にも脚色される。

と書かれています。これは広辞苑に限らず、ほとんどすべての辞書で同じように書かれているのですが、しかしこれは、正確性を欠いた説明ではないかと思います。

「平家物語 四巻 十三 鵺の事」 を見ると、源頼政は、二度化物退治をしているのですが、第一回目は、仁平(1151〜1154)の頃であり、そしてこの化物の描写を見ると、

頭は猿、躯(むくろ)は狸、尾は蛇、手足は虎の如くにて、鳴く声 鵺(ぬえ)にぞ似たりけり。

註:源平盛衰記では、
頭は猿 背は虎 尾は狐 足は狸、音は鵺也。

とあります。最後の「鳴く声 鵺(ぬえ)にぞ似たりけり。」という一文からすると、この化物は、声が鵺に似ているというだけで、「鵺」という化物ではないのです。そしてこの化物には名前はありません。

それからおおよそ10年後、応保(1161〜1163)の頃に、頼政は、第二回目の怪物退治をします。その怪物の描写を見てみると、

鵺(ぬえ)という化鳥(けちょう)、禁中に鳴いて、しばしば宸襟(しんきん)を悩まし奉る事ありけり。

註:「禁中」は皇居のこと。「宸襟」は、天子の心 のこと。

とあります。つまりこの第二回目の怪物こそが、「鵺(ぬえ)」なのです。そしてこれは、「化鳥」とありますから、鳥の化物ということになります。しかし、その外見についての描写はありません。

ではなぜ、第一回目の化物が「鵺」と呼ばれるようになったかといいますと、それはおそらく、世阿弥の「能」の影響だと思います。世阿弥は平家物語を基に、能を作ったのですが、その際に、第一回目の化物と第二回目の化鳥とを合体させて、「鵺」という一つの化物にしてしまったのです。但し、この能でも、頼政が射殺した鵺(ぬえ) についての描写では、

頭(かしら)は猿、尾は蛇、足手は虎のごとくにて、鳴く声 鵺(ぬえ)に似たりけり。

という風に、平家物語と同じく、「鳴き声が鵺(ぬえ)に似た化物。」となっています。しかしこの箇所以外では、この化物は鵺(ぬえ)として話が作られています。例えば、自己紹介の部分では、

頼政が矢先にかかり、命を失いし鵺(ぬえ)と申ししものの亡心(ぼうしん)にて候。

というような感じです。しかし能の世界ではどういうわけか、この矛盾については、ほとんど気にかけられていないようです。

鵺(ぬえ)は、色々な動物が寄せ集められているので、そこから転じて、「正体不明の人物やあいまいな態度」にも用いられるわけですが、この能の矛盾も、鵺らしい曖昧さと見ることができるかもしれません。

広辞苑では、この矛盾を解消するためか? 鵺の鳴き声を、「声はトラツグミに似ていたという。」というように、「鵺」という漢字を取り除いて、カタカナで、「トラツグミ」としているのですが、辞書なのですから、このような恣意的な変更はすべきではないと思うのですが、どうでしょうか?

註:鵺は、野鳥のトラツグミのことであるということは、定説になっている。後述を参照のこと。

時代が下がると、この世阿弥の能は、浄瑠璃や歌舞伎に更に翻案されて行きます。こうして、「鵺のように鳴く名前のない化物」は、「鵺という名の化物」へと変化して行ったのです。

源頼政鵺退治之図 画:一寿斎芳員 江戸時代の錦絵
源頼政の鵺退治

ところで、二度目の怪鳥の鵺(ぬえ)には、なぜその外見の描写がなかったのかというと、それには理由があります。本来、鵺(ぬえ)は、怪鳥ではなく、万葉集にも何度も出てくる鳥で、これはトラツグミのことだったのです。そして平家物語のこの話も、元々は、怪鳥の鵺(ぬえ)を射る話ではなく、単なる鳥の鵺(ぬえ・トラツグミ)を射る話だったのではないかと考えられています。その原型に近いのは次の話です。

十訓抄 10.57 頼政鵺を射し事

高倉院の御時、御殿の上に鵺(ぬえ・トラツグミ)の鳴きけるを、悪しき事なりとて、いかがすべきという事にてありけるを、或る人頼政に射させらるべきよし申しければ、さりなんとて、召されて参りにけり。このよしを仰せらるるに、畏まりて宣旨を承りて、心の中に思いけるは、昼だにも小さき鳥なれば得がたきを、五月の空、闇深く雨さえふりていうばかりなし。我、既に弓箭の冥加つきにけりと思いて、八幡大菩薩を念じて奉りて、声を尋ねて矢を放つ。答うるように覚えければ、よりて見るに、あやまらず当たりにけり。・・・・

つまり、「頼政が、雨降る闇夜に、鵺(ぬえ・トラツグミ)という鳥を、見事に射止めた。」という話だったわけです。

平家物語の二番目の話では、鵺(ぬえ)を、「化鳥」とはしていますが、基本的には、十訓抄の話と同じです。おそらく平家物語の作者も、鵺(ぬえ・トラツグミ)を「不気味な声で鳴く不吉な鳥。」というような意味合いで「化鳥」と表現したに過ぎないのだと思います。

そもそも当時は、鵺(ぬえ)は、トラツグミと認識されていたわけですから、文字通りの意味での化鳥にはなりえなかったのではないかと思います。
(平家物語では、二番目の話が先にあり、その後一番目の話が作られたのだと思います)

鵺は「和漢三才図会」 の禽類の項にも載っていますので、見てみます。

和漢三才図会 鵺 (ヌエ)

和名抄載唐韻云[ヌエ恠鳥也按俗或用鵺字此鳥昼伏夜出故然焉

按今世称鵺者非恠鳥而洛東及処処深山多有之大如鳩黄赤黒彪似鴟昼
伏夜出啼木杪其觜上黒下黄鳴則後竅応之声如曰休戯脚黄赤色也

和名抄に、唐韻を載て云うは、[ヌエ]は怪鳥也。按ずるに、俗或は、鵺の字を用ゆ。此の鳥、昼伏し夜出つ故然り。

按ずるに、今世、鵺と称する者は、怪鳥に非ず。而して、洛東及び処処深山に多く之れ有り。大きさ鳩の如し。黄赤色、黒彪 (くろふ) 鳶に似て、昼伏し夜出て木杪 (こずえ) に啼く。其の嘴、上黒く下黄。鳴く時は、則ち後竅(こうきょう) 之に応ず。声 休戯(ひゅうひい)と曰うが如し。脚 黄赤色也。

和漢三才図会は、正徳二年(一七一二)に作られたものですが、
「今世、鵺と称する者は、怪鳥に非ず。」
と、わざわざ記されているところを見ると、当時は既に、鵺は、怪鳥として広く知られていたことが窺えます。

実際のトラツグミの写真です。
トラツグミ ヌエ 鵺

和漢三才図会のイラストでは、首が長くなっていますが、それ以外の細かな描写は誤りはないと思います。
「鳴く時は、則ち後竅(こうきょう) 之に応ず。」
と、いうのは、鳴声にあわせて、お尻の穴を開いたり閉じたりする。というような意味でしょうか? トラツグミは、餌を探すときに、お尻を上下にフリフリするそうです。案外このことを指しているのかもしれません。

ところで、この前「攻殻機動隊 Ghost in the shell Movie」をBSでやっていましたが、あのテーマ曲には、鵺が出てきますよね。

謡 Making of Cyborg 作詞:作曲 川井憲次

吾が舞へば、麗し女、酔ひにけり
(あがまえば、くわしめ、よいにけり)

吾が舞へば、照る月、響むなり
(あがまえば、てるつき、とよむなり)

結婚に、神、天下りて
(よばひに、かみ、あまくだりて)

夜は明け、鵺鳥、鳴く
(よはあけ、ぬへとり、なく)

遠神恵賜
(とお、かみ、えみ、ため)

川井憲次氏は、らんま1/2の音楽も担当されていましたから、らんまファンには、おなじみの音楽家です。それにしても、この曲は、とても幻想的で印象的な曲ですね。ただ、この歌詞なのですが、

「夜は明け、鵺鳥、鳴く」

というのは、ちょっと・・・ 鵺鳥は夜中に鳴く鳥とすべきではないかと思うのですが。 夜が明けて鳴くのは、やはり、ニワトリでしょうね。(^^) でも、ニワトリでは、趣がないかもしれませんね。古事記などでは、ニワトリは、長鳴鳥 (ながなきどり) と呼ばれていたので、これならば、なんとかいけそうな気もしますが・・・(^^)

そういえば、らき☆すた の 16話で、つかさ のお姉さんのまつり が、
昔、鳥が死者を運ぶと考えられてて、その鳥が休むための木だから鳥居って言うみたいよ。

と言っていましたが、「鳥が死者の魂を運ぶ」という思想は世界的にポピュラーですが、「鳥居の由来は、死者を運ぶ鳥が休む木だから」というのは、それほど一般的な説ではないと思います。

伝説として有名なのは、先ほどの古事記の長鳴鳥の話ですね。アマテラスが、天岩戸に隠れてしまったので、彼女を呼び出すために、長鳴鳥 (鶏) をたくさん連れてきて、鳴かせたそうです。この、鶏を止めておいた木が、鳥居のはじまりだというのです。でも、「らき☆すた」の薀蓄班は、このくらいのことは、知っていたのでしょうね。おそらくここの鳥居の薀蓄は、その前に、つかさが、まつりに聞いた英文と関係しているのだと思います。

Curses, like chickens, come home to roost.
人を呪わば穴二つ
When you make the contract,
契約を結べば、
you will absolutely go to hell,too.
あなたも、必ず地獄へ流されることになる。

これは、地獄少女についての英文だそうですが、しかしこれを直訳的に読むと、
Curses, like chickens, come home to roost.
「呪いは、ニワトリのように、自分の止まり木に戻る」
When you make the contract, you will absolutely go to hell,too.
「契約を結べば、あなたも必ず地獄へ堕ちる」

この英文を意訳すると、まつりの、鳥居の由来の説明になると思うのですが、どうでしょうか? ちょっと苦しいでしょうか?(^^)

らき☆すた 16 リング
らき☆すた16リング

参照リンク
「鵺」の尻尾と「牛鶴鰻毛人」の尻尾
鵺から雷獣への変化

2007/08/08
posted by ranma at 06:23 | TrackBack(0) | らんま1/2-18巻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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