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新たな記事も増やして行きますので、
今後とも宜しくお願い致します。(^^)





2008年04月02日

殺生丸と殺生石 聖地探訪

犬夜叉 02.09 変化
殺生丸

殺生丸の変化した姿ですが、名前からして殺生丸は化け狐かと思っていたのですが、化け犬なんですね。でも名前の由来は、殺生石 (せっしょうせき) と関係しているのではないでしょうか? 関係ないかもしれませんが、関係あるということで強引に話をすすめて行きたいと思います。(^^)

殺生石

栃木県の那須にある殺生石です。まず、殺生石の由来について概略を見てみます。

 昔中国やインドで美しい女性に化けて世の中を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐が、今から800年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来しました。
 この妖狐は、「玉藻の前」と名乗って朝廷に仕え日本の国を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師、阿部泰成 (あべのやすなり) にその正体を見破られて那須野ケ原へと逃れて来ました。
 その後も妖狐は領民や旅人に危害を加えましたので朝廷では三浦介、上総介(かずさのすけ) の両名に命じ遂にこれを退治してしまいました。
 ところが妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石」と呼んで近寄ることを禁じていましたが、会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる妖狐のうらみを封じましたので、ようやく毒気も少なくなったと語り伝えられています。

松尾芭蕉は、奥の細道で次のように書いています。

殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず。蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。

そして次のような俳句を詠んでいます。(曽良日記)

石の香や 夏草あかく 露あつし
(殺生石からの臭気で、夏草は赤くなり、そこからしたたる露は熱い。)

現在でも、殺生石の辺りからは、硫化水素などの毒ガスが立ち昇っているため、この中に入り込んだ獣の死骸が絶えないそうです。僕が行った時は、近くに狐が巣を作ったということで、狐が危険なのでその巣を撤去しようとしていました。また、殺生石のところには猫の死骸があり、これをカラスが狙うとカラスも死んでしまうことがあるそうで、防護マスクをして、これを撤去するとのことでした。

殺生石 硫化水素 小銭
硫化水素などのガスで、腐食した小銭


殺生石 鳥山石燕

殺生石 鳥山石燕
殺生石は下野国那須野 (しもつけのくになすの) にあり。老狐の化する所にして、鳥獣これに触れば皆死す。応永二年乙亥正月十一日、源翁和尚 (げんおうおしょう) これを打破すといふ。


殺生石の近くには、千体地蔵があります。

千体地蔵3

千体地蔵2

千体地蔵1

犬夜叉に出てきそうな風景ですね。
もう少し行くと、湯泉神社(ゆぜんじんじゃ)があります。

湯泉神社

一般的に神社の参道には、杉が植えられているものですが、湯泉神社の参道は、ブナやナラなどの広葉樹が繁っています。(原生林をそのまま残しているのでしょうか?)

湯泉神社2

湯泉神社といえば、源平合戦の「屋島の戦い」で、那須与一が平家の扇を射抜く時に祈った神社の一つです。

平家物語 巻十一 那須与一

屋島の戦いで、源氏と平氏が陸と海で対峙していると、平氏は源氏を挑発するように、日の丸の扇を船の先に掲げて、これを弓で射るようにと手招いた。そこで源義経は、那須与一にこの扇を射抜くようにと命じた。那須与一は決死の覚悟でこの扇に相対し、そして次のように神仏に祈った。
「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願くはあの扇の真ん中、射させてたばせ給へ。是を射そんずる物ならば、弓きり折り、自害して、人に二度(ふたたび) 面(おもて)を向ふべからず。いま一度、本国へ向へんと思し召さば、この矢、外させ給ふな」

以前このブログでも取り上げた、源頼政の鵺退治の時もそうでしたが、昔の武将は、なみなみならぬ決意でもって、主君の命を果たそうとしたようです。現在でもスポーツ選手の中には、このような決意をもって国際試合に臨んでいる人もいるかもしれません。

2008/4/4


九尾の狐は、大変人気のある妖怪で漫画やアニメなどにもよく登場します。

ナルトは、九尾の狐が封印されているのですよね。
ナルト 九尾の狐 妖狐

キュウコンというポケモンもいるようですね。
キュウコン

最近では、ロザリオとバンパイアの九曜が、九尾の妖狐でしたね。

ロザリオとバンパイア 13 (最終回) 月音とバンパイア
原作:池田晃久

ロザリオとバンパイア 九曜

この他にも、九尾の狐が出てくる漫画やアニメはたくさんあると思います。

2008/4/5


現在、「玉藻の前」に化けていたのは、「九尾の狐」 とされるのが一般的ですが、実はこれは江戸時代中期以降のことであって、室町時代から江戸時代初期までは、二尾の狐であったようです。

玉藻の前 絵巻
野干1

玉藻の前
野干2

紙本著色源翁和尚行状縁起
野干3

玉藻の草紙
野干4

能の「殺生石」も、謡曲自体は、「九尾の狐」ではなく、単なる「狐」とされています。

では、なぜ「二尾の狐」が「九尾の狐」になったかというと、これを説明する前に、初期の「玉藻の前」の話を少し見てみたいと思います。

玉藻の前に化けていた狐は、インドや中国でも悪さをした狐なのですが、まずインドでは、斑足太子(はんぞくたいし) をそそのかします。この部分の話は、曽我物語の7巻の「斑足王」という話をそのまま採り入れたようです。

曽我物語 七巻 斑足王 (はんぞくおう)

昔、天羅国(てんらこく)に、斑足王(はんぞくおう)という太子がいた。外道(げどう)の教えにより、千人の王の首をとり、塚の神にまつり、大王になろうとした。そして数万の力士を集めて、東西南北の王城に攻め入り、999人の王を捕まえた。しかし一人足りない。するとある外道が、「これより北へ一万里行くと、普明王(ふみょうおう)という王がいるので、これを捕まえて千人にするとよい」と教えた。そこで力士を差し向けて、普明王を捕まえた。これで千人になったので、一度に全員の首を切ろうとすると、普明王は手を合わせて、「どうか一日だけ暇を下さい。仏様にお祈りして、死への路のたよりにしたいのです」と言った。斑足王は、それを許してやることにした。
普明王は、百人の僧侶を請じて、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)を講読した。するとたちまち、普明王は悟りを開いた。そして、普明王が、斑足王に説諭すると、斑足王もたちまち悪心を翻して、捕えていた千人の王に、「私は、外道に勧められ、悪心を起こしていたがすっかり目が覚めた。」と言って皆を解放した。

実はこのように曽我物語では、狐は全く出てきません。そして初期の玉藻の前の話でも、「この時の塚の神が、この悪狐でだったのです。」という取ってつけたような説明がなされているだけです。

これが時代が下がると、「斑足王の妃の華陽夫人が九尾の狐であった。」というような話になります。

ところで、「千人を殺そうとして、最後の一人で失敗して改心する。」という話は、弁慶と牛和歌丸の話が有名だと思いますが、この話については、以前、「うる星やつら」の博物誌 で取り上げましたので、詳しくはそちらをご覧下さい。

次に中国では、幽王の后のホウジに化けます。実は、玉藻の前の話では、「中国ではホウジに化けた」ということが書かれているだけで、その内容までは踏み込まれていません。しかしこれはおそらく、平家物語の「烽火の沙汰」を踏まえているのだと思います。

平家物語 二巻 烽火の沙汰 (ほうかのさた)

昔、周の幽王に、ホウジという后がいた。天下一の美人であったが、この后は全く笑わなかった。
中国の風習に、天下に兵乱の起こる時は、方々に狼煙(のろし)をあげ、太鼓を打ち鳴らして、軍兵を招集した。これを烽火(ほうか)という。ある時、天下に兵乱が起こり、処々で烽火を燃やした。すると后はそれを見て、「なんとおびただしい火であろう。」と、はじめて笑った。幽王は大いに喜び、その後は兵乱もないのにしょっちゅう烽火をあげた。諸侯は烽火を見て馳せ参じるが、敵がいないので帰るほかない。ある時、隣国より凶賊が蜂起して幽王の都を攻めた。幽王は烽火をあげたが、信用する者はなく軍兵は集まらなかった。そして都は攻め落とされ、幽王は滅んだ。すると恐ろしいことに、后のホウジは狐となって走り去った。

註:ホウジ は、「褒ジ」「ジ」は、女+以  

この話は、嘘ばかり言っていると本当のことを言っても信じてもらえない。という、イソップ童話の「狼少年」のような話ですが、「后を笑わせようとして身を亡ぼす。」という観点からすると、日本や中国の昔話にある、絵姿女房も想起させます。

昔話 絵姿女房

ある男が、とても美しい女を嫁にした。男は妻があまりにも美しいので、そばを離れられない。そこで妻は夫に自分の絵姿を持たせて畑へ行かせた。ある時、男が妻の絵姿を見ながら畑を耕していると、突然強い風が吹いて、その絵を吹き飛ばしてしまった。その絵は殿様のお城に飛んで来た。殿様はその絵を見ると、この女を探して連れて来るようにと命じた。家来たちは方々探し回って、男の家にやって来ると、有無を言わさず男の妻を連れて行ってしまった。
殿様は、この女を后として、とも大切にしたが、女は一向に笑わなかった。それからしばらくして、物売りになった夫が城の辺りを声を上げて売り歩くと、女がはじめて笑顔を見せた。殿様は、夫を城に呼び入れると、女を笑わせようと、夫の衣装を取り替えた。すると、女は門番にその男を城の外へと追い出すようにと命じた。こうして殿様は城から追い出され、夫は殿様となって夫婦ともども仕合せに暮らしました。

幽王もこの殿様も、笑わぬ后を笑わせようとして、身を亡ぼしてしまったわけです。(^^)
絵を見て一目ぼれするというような話は、世界中に無数にある話しなのですが、その類型として、星新一の「花とひみつ」という作品がとても面白いです。

花の大好きな、ハナコちゃんが、花の世話をするモグラの絵を描いた。しかしせっかく描いた絵が、風に飛ばされてしまった。そしてその絵はある秘密の研究所へと・・・・

2008/4/10 

話が少し逸れましたが、まあ、このように初期の「玉藻の前」のインドや中国の話は、狐との関連性はそれほどなかったのです。そして玉藻の前の正体が、二尾の狐であるというのも、これは単に、フリークスとしての特殊性を示しているだけのように思えます。

さて、この二尾の狐がどうして九尾の狐になったかというと、それは、江戸時代の後期に、先のインドと中国の話の他に、殷の紂王(ちゅうおう)の后の妲己(だっき)の話が加えられたからだと思います。

妲己というのは、封神演義に出てくる、その魂魄(こんぱく)を九尾の狐に乗っ取られてしまった悪女なのですが、この妲己の話が加えられることにより、二尾の狐は九尾の狐へと格上げになったのです。封神演義は最近とても人気がありますが、江戸時代にも、唐山演義(もろこしえんぎ) などと呼ばれ大変人気があったようです。

時代の流れは次のようになります。

殷の紂王の后の妲己 → 天羅国の斑足王の妃の華陽夫 → 周の幽王の后のホウジ → 日本の鳥羽院の后の玉藻の前

江戸時代後期に書かれた、「三国妖婦伝」などではこの流れの通りに話が進みますが、類本によっては、ホウジの話が削られてしまうことがあります。おそらく編者は、二つも中国の話はいらないと考えたのでしょう。悪女のホウジが、更なる悪女の妲己によって弾き出された。あるいは、乗っ取られたと言えるかもしれません。また、時代的にも、殷の方が周よりも昔なので、その点からも妲己が優勢であると言えると思います。

以前このブログで取り上げた、平家物語の鵺の話でも、後から作られたと思われる話の方が、第一番目の話とされていました。後から付け足された物語や思想は、編集される際には先に来る。ということはよくあることなのです。

殷の紂王の后の妲己 → 天羅国の斑足王の妃の華陽夫 → 日本の鳥羽院の后の玉藻の前

現在では、この流れの方がメジャーかもしれません。しかし、作者によってこれらに異動あるので、Wikipedia などの考察にも少し混乱があるようです。(^^)

2008/4/13
まだ続く予定です。
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2007年07月09日

鵺(ぬえ)から雷獣(らいじゅう)への変化

先に、鵺について記事を書く時に、Googleなどで検索をしたのですが、その中に、「鵺は雷獣と同一視されることがある。」というような記述を多数見かけました。

雷獣というと、以前、このブログの「三すくみ」 でも、児雷也の由来で取り上げたのですが、雷獣は、犬夜叉にも出ていたのでした。
(今回の記事では、鵺 (ぬえ) と言った場合、平家物語で、源頼政が第一回目に退治した怪物のことを指すことにします。)

犬夜叉 03.10 狐火 高橋留美子 小学館
雷獣兄弟 飛天と満天
犬夜叉03.10

雷獣も想像上の怪物なので、文献によりその描写は様々なようですが、それでも必ず一致する点があります。それは、「雷に関係した怪物である。」ということです。そこでこの観点から、平家物語の鵺 (ぬえ) の描写を見てみると、
東三條の森の方より、黒雲一むら立ち来て、御殿の上にたなびいたり。

となっています。鵺 (ぬえ) は黒雲とともにやって来るのですが、しかし、雨を降らせるわけでも、雷を起こすわけでもないので、これを雷獣とするには無理があると思います。

ところで、源頼政の鵺退治の話は、「源平盛衰記 16 三位入道芸等の事」 にも載っているのですが、この話では、頼政は、雷上動 (らいじょうどう) という弓を用いて、鵺を射止めます。

この、雷上動 (らいじょうどう) という弓は、中国の楚の時代の弓の名人の、養由基 (ようゆき) というという人が使っていたものなのですが、彼は700歳になって、この弓を託す人間が見当たらないので、娘の枡花女 (しょうかじょ) に託して亡くなります。そして枡花女 (しょうかじょ) もその命が尽きようというときに、日本の源頼光の夢の中に現れて、この弓を託したというのです。

源頼光は、大江山の酒呑童子を退治した英雄ですが、頼政は、頼光の五代後の子孫で、この雷上動も受け継ぎます。もしかすると、この雷上動 (らいじょうどう) という弓で、鵺を射止めたことから、鵺と雷とが関連付けられるようになったのかもしれません。

それから、鵺(ぬえ)の鳴き声なのですが、一般的に、「ひょーひょー」 と鳴く。とされているようです。しかし、源平盛衰記では鵺は、「ひい」や「ひひ」と鳴いています。そして、弓を射るときの擬音が、「ひょう」という音なのです。

もしかすると、鵺の「ひょーひょー」という鳴き声は、弓を射る時の、「ひょうど放つ」というような表現から転化したものかもしれません。

更に、頼政の鵺退治の話は、「太平記 12 広有怪鳥を射る事」 にも出てきます。しかしこの話では、頼政は主人公ではなく、隠岐次郎左衛門広有 (おきのじろうざえもんひろあり) という人が主人公です。

建武元年(1334)に、疫病がはやり病死する人が続出しました。しかも秋ごろから、紫宸殿(ししんでん) の上に、怪鳥が現れ、「いつまで、いつまで」と不気味に鳴いたものですから、これを退治しなければならぬということになったのです。

註:この部分の原文は次のようになっています。
元弘三年七月に改元有て建武に移さる。・・・中略 今年天下に疫癘 (えきれい) 有て、病死する者甚多し。是のみならず、其秋の比より紫宸殿の上に怪鳥出来て、「いつまで/\。」とぞ鳴ける。

元弘三年は、1333年のことで、建武に改元されたのは、正しくは、1334年1月29日のことですから、太平記の、元弘三年七月 (1333年7月) に改元された。というのは誤りなのですが、もしかするとこれは次のことがらに関係しているのかもしれません。

後醍醐上皇は、1332年に隠岐に流されたのですが、1333年の6月に、京都に戻り、再び天皇になります。この時に行ったのが、「建武新政」ですが、実質的にこの改革が行われたのが、7月というこで、太平記には、「元弘三年七月に改元有て建武に移さる。」と記されているのかもしれません。ですから怪鳥が鳴いたのは、建武元年(1334) の秋ではなく、元弘三年(1333) の秋が正しいのかもしれません。また、旧暦の秋は、7月.8月.9月頃を指しますから。元弘三年の秋は、元弘三年の七月頃ということになります。



この怪鳥を退治するに当たり、先人の例として、源頼政の偉業を紹介しているわけです。そこでその記述を見てみると、
近衛院の御在位の時。鵺と云う鳥の雲中に翔て鳴きしをば、源三位頼政卿、勅を蒙って射落としたり・・・。

という具合に、ここでは、「十訓抄 10.57 頼政鵺を射し事」と同じように、鵺は怪物ではなく、鳥として扱われています。太平記では、鵺(ぬえ・トラツグミ)は、単なる鳥として認識されていたことが窺えます。

さて、広有 (ひろあり) が退治した怪鳥について見たみたいと思います。まず、この鳥の出現の際の様子を見てみます。
八月十七夜の月 殊に晴渡りて、虚空清明たるに、大内山の上に黒雲一むらかかって、鳥鳴くことしきりなり。鳴くとき口より火炎を吐くかと覚えて声の内より電(いなびかり)して、其の光 御簾の内へ散徹す。

この怪物は、黒雲とともにやって来るばかりではなく、鳴くときに、口から火炎を吐いたかと思ったら、声とともに稲光がした。というのですから、これは雷獣の特徴を完全に備えています。おそらくこの怪物こそが、雷獣の原型ではないかと思います。

さて、この怪鳥の姿を見てみたいと思います。

頭は人の如くして、身は蛇の形なり。嘴の先曲がって、歯 鋸の如く生違(おいちが)う。両の足に長き距 (けづめ) ありて、利 (とき) 事 剣の如し。羽先を延べてこれを見れば、長さ一丈六尺なり。


というように、蛇の身体に翼がついているという点からすると、西洋のドラゴンのような感じなのですが、実際にモデルになったのは、中国の山海経に出てくる、雷神ではないかと思います。

山海経 13 内海東経
雷沢 (らいたく) の中に雷神あり、竜身で人頭、その腹をたたく。
raijin.jpg

この雷神に、羽をつければ、広有 (ひろあり) の退治した、怪鳥とほとんど同じになりますが、この怪鳥が、雷の性質を帯びたのは、同じ太平記の12にある、「大内裏の造営の事。付-聖廟の御事」 の影響を受けているのかもしれません。

藤原時平の讒言により大宰権帥 (だざいのごんのそち) に左遷された菅原道真が、憤死して、雷神と化して、清涼殿に雷を落とすという話です。

北野天神縁起絵巻 弘安本
北野天神縁起絵巻 弘安本

ところで、この広有の退治した怪物も、時代が下がり、江戸時代になると名前がつけられます。

以津真天 (いつまで)
今昔図続百鬼  鳥山石燕 (とりやませきえん) 1712-1788

いつまでも

広有が退治した怪物は、「いつまで、いつまで」と鳴いたので、鳥山石燕は、その鳴き声から、「以津真天 (いつまで)」という名前をつけたようです。

「以津真天」という漢字表記は、「いつまで」という読みに、漢字の音・訓を当てはめただけの万葉仮名です。たとえるならば、暴走族がガードレールなどに、夜露死苦 (よろしく) と書くのと同じようなものですね。
こうした万葉仮名をくずした「変体仮名」は、明治33年 (1900) に、現在の平仮名に統一されるまでは、ごく普通に使われていました。しかし、この変体仮名の廃止により、「いつまで」という怪物の名前も思わぬ変化をとげたようです。

以津真天 (いつまでん)
日本妖怪大全 水木しげる 講談社

いつまでん

鳥山石燕が、以津真天 と表記した時には、「かな」と同じものとして用いたのですが、現在では、変体仮名の廃止に伴い万葉仮名も使われなくなったので、「天」という漢字に、「で」という読みを充てたのでは落ち着きが悪くなり、「でん」という読みに変えられたのだと思います。

また、この水木しげる の絵図も、広有の退治した、
「頭は人で、身体は蛇で、嘴の先が曲がり、歯はノコギリのように、互い違いに生えており、両足に、長い距 (けづめ) があり、羽の長さは、おおよそ4メートル。」
という怪物とは、全く別な怪物になっています。まるで伝言ゲームのような変わりようです。更に、ゲゲゲの鬼太郎では、次のようになります。

ゲゲゲの鬼太郎 第12話『霊界からの着信音』
ゲゲゲの鬼太郎 以津真天

なにか、砂の惑星あたりにいそうな怪物になっていますが、アニメの中で、鬼太郎の父親の目玉おやじは、「時代が変われば妖怪の姿形も変わる。その生まれた理由もな。」 と説明していました。
まるで、アニメの制作スタッフのつぶやきのようでした。(^^)

更に、この広有の怪物退治は、格闘技ゲームの音楽のタイトルにもなっています。

stepmania 広有射怪鳥事 〜 Till When?

東方萃夢想 〜 Immaterial and Missing Power. 
(上海アリス幻樂団製作)
広有射怪鳥事〜Till When? - 作曲:ZUN、アレンジ:NKZ

Till When? というのは、この怪物が、「いつまで、いつまで」と鳴いたので、英語で、Till When? とシャレたそうです。

註:このゲームの基になっているゲームは、
東方妖々夢 〜 Perfect Cherry Blossom.
広有射怪鳥事 〜 Till When? - 魂魄妖夢のテーマ
(ATALUMさんに、教えて戴きました。いつもありがとうございます。これからも宜しくお願い致します。2007/08/11)

また、「地獄先生ぬ〜べ〜」にも以津真天は登場しています。

以津真天 (いつまで)
地獄先生ぬ〜べ〜 第13巻 #105 妖鳥・以津真天の巻
原作:真倉翔・作画:岡野剛 集英社

地獄先生ぬ〜べ〜 以津真天

ぬーべー先生の「ようかい百科」によれば、
人のような顔に するどいキバ
尻尾は蛇で身体が鳥という
妖鳥--「以津真天」
屋根の上にとまり 「いつまで いつまで」 とわめく
戦乱の時代に多く現れたと
「太平記」や「今昔画図続百記」に書かれている

となっていますから、これは、太平記にかなり近い描写になっています。
そういえば、ぬーべー先生の本名は、鵺野鳴介 (ぬえのめいすけ) と言うのですね。漫画では、以津真天を、「俺も初めて聞く妖怪だが」 と言っていましたが、以津真天は先生の縁戚筋に当たる妖怪ではありませんか。(^^)

更に、「瞳のカトブレパス」 という漫画にも以津真天が登場しています。

以津真天 (いつまで)
瞳のカトブレパス 田中靖規 週刊少年ジャンプ 2007年 28号 集英社

瞳のカトブレパス 以津真天

ハクタクの説明によると、「幼児のような顔に、鳥の体 そして蛇の尾を持つ怪鳥!!」 とのことですから、「地獄先生ぬ〜べ〜」とほとんど同じ描写になっています。

白澤 (ハクタク)
瞳のカトブレパス 田中靖規 週刊少年ジャンプ 2007年 29号 集英社

瞳のカトブレパス 白澤

ところで、この白澤は、かなり有名な怪物で、和漢三才図会にも載っています。

白澤 (ハクタク) 和漢三才図会 獣類 38巻
和漢三才図会 39 白澤
三才図会云 東望山有澤獣、一名白澤能言語 王者有徳明照幽遠則至。昔 黄帝巡狩 至東海 此獣有言 為時除害

意訳
三才図会によれば、東望山に澤獣がいる。別名を白澤といい、言葉をよく話す。王者に徳が有り、明るく幽遠を照らす時にはその姿を現す。昔、黄帝が諸国を巡視して、東海に行った時に、この獣の言うことを聞いて、世の中の害を取り除いた。


この白澤なのですが、Wikipedia などでは、「山海経」に出ている。とあるのですが、山海経には白澤は出ていないと思います。(無いということを証明することは、大変難しいことです。もしかしたら僕の単なる見落としという可能性もあります。ですからもし、「山海経」の白澤が出てくる箇所を知っているという方は、是非その箇所をお教え下さい。以下は、山海経には、白澤は出ていないという前提で話を進めます。)

白澤が「山海経」に出ている。というようなことが、ネット上で広まったのは、もしかすると、次のサイトの記述によるものかもしれません。

では、その中国の文献のなるべく古いものを探していくと、白澤と呼ばれる存在はどういうふうに書かれているのか。『山海経』(せんがいきょう)と呼ばれる書物があって、そこにこの白澤という文字が出ています。
中略
ちょっと読んでみましょう。「東望山(とうぼうさん)」に獣あり。白澤と名づく。能く言語をなす。王者徳ありて明照幽遠なれば、則ち至る」とあります。

「新妖怪談義」第5回研究会(2006年1月19日)月齢19



この後半の「東望山に獣あり。白澤と名づく・・・」という記述は、和漢三才図会の、「三才図会云 東望有澤獣、・・・」の読み下しとほとんど同じです。おそらくこれは、「山海経」と「三才図会」を取り違えたのだと思い、更に、「大日本国語辞典 冨山房 初版大正4年」を見てみたところ次のようにありました。

山海経「東望山有獣、名白澤、能言語、王者有徳、明照幽遠、則至」


これを読み下すと、先のサイトの記述と完全に一致します。このことからしますと、「山海経」と「三才図会」は、明治の頃にはすでに取り違えられており、その筋の文献ではそのように記述されているのかもしれません。

ところで、瞳のカトブレパスには、白澤圖 (ハクタクズ) とありますが、「圖」 は、「図」 の旧字です。
この白澤圖というのは、白澤を模写した図という意味ではなく、和漢三才図会の説明でも少し触れられていますが、中国の黄帝が白澤に教えてもらったことを、描かせた図のことです。その図とは、世の中に害を及ぼす、おおよそ、11520種の妖怪を表した図であると言われています。
(雲笈七籤 (うんきゅうしちせん) 卷一百 紀傳部 紀 軒轅本紀)



ここからは、古典ではなく、江戸時代以降に流布した娯楽本の話になるのですが、当時「実録本」という有名人の伝記のシリーズがあったようで、その中に、石川五右衛門の実録本 「賊禁秘誠談 (ぞくきんひせいだん) 」 もありました。しかしこの本は発禁処分になったそうで、手写しの写本版によって流布したそうです。

ところで、石川五右衛門の父親は、「石川左衛門秀門 (いしかわさえもんひでかど)」 である。という説があります。石川左衛門秀門は一色家の家臣で、天正 (1573-1592) の頃に、現在の京都府野田川町にあった、幾地城 (いくじじょう) の城主だったそうです。といってもこの説はほとんど知られていないようで、Google で 「石川左衛門秀門」 を検索しても、4件しかヒットせず、しかも石川五右衛門に言及しているのは、2サイトだけでした。
また、「石川秀門」 で検索しても5件しかヒットしませんでした。しかしこちらは石川五右衛門をメインとするサイトが多かったです。

なぜ、唐突に石川五右衛門の父親の話が出てきたかと言いますと、実は、「石川左衛門秀門」は、実録本では、源頼政の鵺退治に登場する人物として描かれているのです。


七十八代近衛院の御宇に、仁平三年四月初めに化鳥 (けちやう) 現 (あらわ) れ、内裏の上を鳴ける。帝 おびえ玉さらせ給ふに依って北面守護の輩、昼夜相備、諸寺諸社にて高僧貴僧を集め、種々御祈祷有といへども更に印なきに依って、談して、詮義有て北面の内にて器量をえらみ、弓箭を以て鎮めらるぺしと評定す。其頃、北面の武士には石川左衛門秀門、佐藤兵衛常清、遠藤将監将遠、安藤武者友宗是、等は聞へ高く、就中石川が父、
兵衛蔵人秀重は、往期、雷(らい) を捕(とら) へし軽(かる) の大臣が子孫にて、弓法の術を伝へ在京の武士多く門弟となるその子なれば秀門宜しからんと・・・・

註: 七十八代近衛院は、七十六代の誤り。

つまり、近衛院を悩ます、怪鳥を退治する者として、石川左衛門秀門 が選ばれたということです。ここで面白いのは、その祖先は、「雷」 を捕らえた、「軽の大臣」 だという点です。この「雷」というのは、雷獣のことだと思いますから、鵺と雷獣の関連がここでも見られます。

ところで、この「軽の大臣」なんですが、この人は、中国で「燈台鬼」にされてしまった、遣唐使のことだと思います。広辞苑には次のようにありました。


とうだい‐き【灯台鬼】渡唐した軽の大臣が、額に灯台を打ちつけられて姿を鬼に変えられたというもの。その子吉備大臣が父を慕って渡唐し、灯台鬼にめぐりあったが、親と気づかず、鬼の示した詩によってようやくそれと分ったという。(源平盛衰記)


広辞苑では、子は、吉備大臣となっていますが、源平盛衰記を資料にしているわけですから、この場合、弼宰相とすべきだと思います。吉備大臣は違うキャラとして、源平盛衰記に登場していますので、混乱してしまいます。

燈台鬼
今昔百鬼拾遺 鳥山石燕 (とりやませきえん) 1712-1788

燈台鬼 今昔百鬼拾遺 鳥山石燕

話が少しそれましたが、ではなぜ、石川左衛門秀門 が、怪鳥退治に登場しているかといいますと、それは源平盛衰記に出てくる、「石川秀廉」 と読み方が同じだからだと思います。
源平盛衰記でも、源頼政の前に、石川秀廉が鵺退治を仰せつかるですが、腕に自身がないので辞退します。石川左衛門秀門 も源平盛衰記と同じように辞退して、その後追放されて、伊賀に流れ着いたということになっています。

石川左衛門秀門が、鵺退治を辞退した後に、源頼政がその任に就くわけですが、その事跡についても、石川五右衛門の実録本に記されています。(これを省略する実録本もある)
では、まず鵺の登場する様子を見てみます。

既に其夜も丑三つの頃に至りて、三の森の方より黒雲一むら舞下り、御殿の上にかかると見えしが、彼の怪鳥飛来り、紫宸殿の上でしきりに鳴ける。声は鵺に似たり帝(みかど) 其鳴を聞し召さるとひとしくおびえ玉さらせ玉ふ。宇治の大臣 大床に立ち、御脳(のう) 唯今なると仰に、頼政 つつ立ち上がり弓矢 追取、雲上を窺ひ見れば、声有て形は見へず、されども時々火炎の如き光りをはなつ・・・・

この、「火炎の如き光を放つ」というのは、太平記の怪物と同じで、雷獣の性質を完全に備えてしまっています。では、仕留められたその姿を見てみます。

検非違使(けびいし) の官人、松明(たいまつ)を以って、化鳥(けちょう) を見れば、大きさ五尺余りにして、胴の毛色、虎斑(とらのふ) のごとく、頭は猿のごとく、尾先は蛇のごとく帳(とば)り、四足有て虎のごとく、鳴声鵺に似たり、何とも名付ぺき様なき怪鳥なれば、うつろ船を拵へて死骸を淀川に流し捨る。


この石川五右衛門の実録本は、源平盛衰記を少しオーバーに脚色したものですが、更に、佐野義勇伝という本には次のような話があります。


応永十二年 (1405) 一月二十五日、会津の国守 芦名連高 (あしなつれたか) は 天上山 へと狩りへ行った。すると辺りが黒雲に覆われ雷鳴激発して、連高 (つれたか) の前に落雷し、馬廻りの家臣六、七人が微塵に裂かれて即死した。そして連高も鋭い雷声に心を打れて落馬して気を失ってしまった。

この知らせを聞いた鹿蔵は、
「これは、魔魅(まみ)のしわざに違いない。それがしが、雷の正体を暴いて、太守の御武徳を示すべし」と、弓を手に馬に飛び乗った。

雷声稲妻なお頻りにして、山中鳴動して夜の如し、雨は益々激しく降れども、鹿蔵は、雲間を睨みて、弓に矢をつがえ、二、三丁駆け上るに、電光パッと光ると同時に、磐石の落る如くの高鳴りして、円火 (えんか) 落たり。鹿蔵得りと弓を引き絞り、ヒョウと放って射たりければ、車輪の如く電光巡り、辺の大樹へ掻上るを、鹿蔵 逃さず二の矢を射かけ、なお飛び掛って、弓を振り上げハタと撃てば、火は散乱して、怪異 (あやし) の老獣、地に落ちるを、鹿蔵 刀抜き持って、一喝喚いて猛獣を突き立て切り込み刺し通すに、牛の哮 (たけ) る如く呻き狂い、猛獣ついに斃れければ、たちまち雨晴れ、雲散じ、日光 地に影さしたり。


この話は、源平盛衰記や太平記を換骨奪胎したものだと思いますが、次にこの怪物の姿の描写を見てみます。

大きさ一丈に余り、頭は白狐、胴は猿の如く尻尾 二つに裂けたり。
佐野義勇伝

叫び声が 「牛の呻くような声」であったりと、この怪物は、鳥の属性から完全に離れ、獣の属性へと移行しています。

佐野義勇伝では、鹿蔵がこの怪物についての考察をしていますので、それも見てみたいと思います。

ある唐の書に曰く、唐山済州南明の嶽に、昔、一人の仙人栖みて、その名を碩定原 (せきていげん) という。常に二匹の猿狐を使う。ある時、碩定原は、二匹の獣に向かい、「汝らその姓を二種に分つとも、今、この碩定原に使わるる時は、ともに我が四肢の要をなすなり。よってその二身を合体せしめて、一種となるか、我が仙術をもって任すや否や。両の獣、意に従う体なり。碩定原 やがて仙術をもって、両獣一身の形となしぬ。その面は狐にして骸 (むくろ) は猿の如く、尾は狐なり。碩定原名づけて仙公と呼ぶ。そののち碩定原 暇をとらせて南明が嶽を退かしむ。近く宋朝の代に到るまで、この異獣存命なして、伯州金渓山に栖みしという。

唐書すこぶる妄説多けれども、唐山にての例、これに挙げたり。然ど本朝の昔よりして、未だ仙公の栖みたるを聞かず。狐は千年を経つと白狐と成り、頭に北斗を戴きて、神通自在し、猿は五百歳を経ると狒々 (ひひ) と成りて、風を呼び雨を発すといえり。かかる変化を生ずる物はこの天地造化の中の妖怪なり、妖は則ち魔道にして風雨雷電を司る。この世に雷獣雷鳥のあれども強ちそれらの物に限るべからず、かような怪獣山にあって年古く存命する物は、魔獣の長と成りぬる事、深山幽谷にはまま有るべし。


おそらくこの考察は、作者の創作だと思いますが、ここに出てくる怪物は、9割方雷獣になっています。そして、次の尼子十勇士では完全に雷獣となっています。

鹿之助銀閣寺にて雷獣を捕らえること

鹿之助は、松永弾正久秀 (まつながだんじょうひさひで) の奴 (やっこ)となり名を早助 (はやすけ) と改め、いとまめやかに仕えければ、松永も、またなき者と思い侍に取り立てなば、ひとかどの役にも立つべきものと、士分になさんと勧むといえども、早助、なにぶん草履とりの外、役に立つものに非ずと、謙退(けんたい)し、ひたすら中間となりて時の至るを待ちける。

あるとき将軍義照公、銀閣寺へお成りありければ、大名・小名、威儀厳重に伺候して納涼の宴を催し給うときに、比叡山より黒雲一むら起こると見えしが、一声の霹靂天地も砕くるばかりに車輪の如き火の玉庭前 (ていぜん) に落ちて御殿へ駆け上がりければ、各々 将軍をとり囲み刀を抜いて追い払うに、この光にや恐れけん。庭上の大木の松の有りけるに登らんとするところを、松永の草履取り早助 (はやすけ) さいぜんより庭前に来り蹲踞 (うずくまり) てありけるが飛びかかってかの車輪のごとき物を無手 (むづ) と抱く。この時 日の光りは黒雲に乗りて上り早助に組まれたるものばかり残りける。この獣を遁れんと大きなる爪を以って早助につかみかかるを事ともせず、ついに押さえて用意の縄を以って戒めける。


この話では、佐野義勇伝よりも更に、怪物が卑属化しています。さて怪物の姿を見てみたいと思います。

頭は鼬 (いたち) のごとく、手足の爪恐ろしく、啼き声 ひせい(ムササビ) に似たりける。
尼子十勇士 雷獣
(早助、実は鹿之助。銀閣寺に於いて、雷獣を生け捕る)

そしてこの怪物は最期は、
雷獣は、うつろ船に乗せ、西の海に流しけるとぞ。

となっています。これは、平家物語や源平盛衰記の「鵺」を「うつろ船」に乗せて流した。ということを踏襲しています。

尼子十勇士では、雷獣は、イタチのような姿で、ムササビのような鳴声となっているわけですが、雷獣がイタチのような動物とされることはよくあるようです。次はその顕著な例です。

天保14年(1843)オランダ人が連れてきた 貂 (テン)
雷獣と表記されている。
雷獣 テン

イタチやテンがなぜ雷獣になったか? というと、落雷の後にたまたま、イタチのような小動物を見かけたためではないか? というようなことが、一般的に考えられているわけですが、どうも次の絵図なども関連しているように思います。

鼬 (てん) 
画図百鬼夜行 鳥山石燕 (とりやませきえん) 1712-1788

鳥山石燕 鼬-テン

これは、テンが火柱になっている図ですが、和漢三才図会の鼬 (イタチ) の項には、次のようにあります。

和漢三才図会 鼬 (いたち)

夜中有焔気高升如立柱呼称火柱其消倒処必有火炎蓋群鼬作妖也

夜中に焔気有り、高く升 (のぼ) り、柱を立てるが如し。呼んで火柱と称す。その消え倒るる処、必ず火炎有ると。蓋し群鼬 (ぐんゆう)、妖を作す也。


この火柱には稲光のイメージがあります。また、日野巌 の「動物妖怪譚」 には次のような記述があります。

動物妖怪譚 日野巌


狐 鼬 (いたち) の属 口より気を吐けば其の光如光、常に有る事也。(越後名寄)

狐 (附2)
アイヌ人の間にも狐が人をばかすという言い伝えがある。アイヌ特有のものかそれとも日本人から輸入した思想か判然としない。その言い伝えによると、大昔、貂神がこの地上に居住するために天から下って来ると、その頃、この世界の端に古くから住んでいた「世界の乱入者」という化物が居た。ある時貂の神の家を訪ねて、力競べを申し出た。そうして、いきなり貂神を捕えて火の中に投げ入れて焼いてしまった。化物は大いに喜んで、戸外に出ると、焼いた筈の貂が再び現われて、この化物を捕えて火の中に投げこんだ。然し化物は煙にばけて、逃げ出そうとすると、貂は之を吹き落として遮った。遂に化物は全く焼けて赤や白の灰になってしまった。


この話では、貂は天から下って来ます。そして、火に焼かれることはありません。どうもこれも、雷と関連があるように思えます。また、この火に焼かれないというのは、「火鼠」 を想起させます。

ところで、佐野義勇伝でも、この尼子十勇士でも、落雷の電光を、「車輪の如し」 と表現しています。これは、犬夜叉の飛天の滑車に通じるものがあるように思います。

犬夜叉 04.05 鞘を捨てる 高橋留美子 小学館
飛天の滑車
犬夜叉 飛天の滑車

最後に、雷獣の絵図を見てみたいと思います。

神なり (雷獣)
絵本百物語 桃山人夜話 竹原春泉 画 1841

絵本百物語 桃山人夜話 竹原春泉 雷
アナグマがモデルだろうか?

雷獣
図説 日本妖怪大全 水木しげる 講談社

日本妖怪大全 水木しげる 雷獣

犬夜叉の満天は、この絵図に近いように思います。

雷獣の弟、満天
犬夜叉 04.01 雷獣兄弟 高橋留美子 小学館

犬夜叉 04.01 雷獣兄弟

ゲゲゲの鬼太郎 第10話『荒ぶる神! 雷獣』
ゲゲゲの鬼太郎 第10話 『荒ぶる神! 雷獣』

「うしおととら」でも似たような工事現場の話があったと思います。
(その話は、「鎌鼬の話」では? との情報を、乙葉さん から戴き、確認したところそのの通りでした。乙葉さんいつもありがとうございます。)

ところで、今期のゲゲゲの鬼太郎の猫娘なんですが・・・・
ゲゲゲの鬼太郎 第五期 猫娘  

萌えが入っているんですが? まあ、歓迎しますけど・・・(^^)

以上から、鵺から雷獣への流れを見てみますと、まず平家物語で「鵺」 が怪物として登場し、次に源平盛衰記では、「鵺」 は、「雷上動」 という弓に射られます。次に、太平記で、「いつまで、いつまで」と鳴く怪物が現われ、これは口から火炎を吐きます。これが江戸時代以後、どんどん姿を変え、遂には、雷獣となります。ですから、雷獣というのは、江戸時代以後に生み出された、怪物であるように思います。

そして現在では、空を飛ぶ得体の知れない怪物は、「鵺」 と一括りにされることも多いようです。例えば、「図説 日本妖怪大全 水木しげる」 の「鵺」 の項には、藤沢衛彦氏の『妖怪出現年表』 が添えられているのですが、そこに、

元弘三年 (1333年) 七月に紫宸殿にの上で鵺が鳴いている。

との記述があるのですが、これは、今まで何度も見てきたように、「太平記」の「いつまで」と鳴く怪鳥のことです。これは、おそらく日野巌の動物妖怪譚 の「鵺」の項の、

元弘三年七月には紫宸殿上に鳴いて、大宮一の眠を驚かし(太平記)

という記述からとられたものだと思います。日野巌は、以津真天と鵺を同一視していたようです。

参照リンク

以津真天
妖怪図鑑 以津真天 ―いつまで―
澪漂二重の憂鬱クァルテット ひさしぶりにイラスト

白澤図
いけさんフロムFR・NEO RE 「瞳のカトブレパス」〜連載4回目!...
旧式ロボットの生活。 仁吉の正体、白沢とは?
愛媛県歴史文化博物館 展示予告「異界・妖怪大博覧会」14―白沢図―

雷獣
妖怪古今録+白澤図 ゲゲゲの鬼太郎 第10話 雷獣

2007/08/05
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2007年01月18日

犬夜叉 かごめ&七宝の値段

 kagome.bmp

アマゾンで売っている。「犬夜叉 かごめ&七宝 1/8 完成品」という商品なんですが、価格が税込みで、¥ 7,349,999 となっていました。
7百万円以上のフィギュアって・・・・(^^)


2007/01/25
どうやら、フィギュアは在庫切れになったようですね。
7,349,999円で売れたのでしょうか?(^^)
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2006年09月29日

Lycoris radiata

My will  Spanish


lycoris.jpg

お彼岸は過ぎたのですが、今頃がちょうど彼岸花の季節です。彼岸花の学名は、
Amaryllidaceae Lycoris radiata と言うのですが、
Amaryllidaceae(ヒガンバナ科)
Lycoris(ヒガンバナ属)
radiata(ヒガンバナ種)
ということになります。日本では、Amaryllidaceae科をヒガンバナ科と言うのですが、名前からすると、アマリリス科とした方がよいようにも思えます。

Lycoris(リコリス) は、紀元前50年頃の女優の名前にちなむとされているようです。
芸名は、Cytheris といい、彼女は、アントニウス、または、ガルスの愛人であったと言われています。

参照 ラテン語徒然 ガッルス(?)断片
http://litterae.blog8.fc2.com/blog-entry-16.html
2007/11/08追加訂正

radiata は、車輪のスポークのことです。つまり、彼岸花は車輪のような花というような意味があり、・・・と、すると、犬夜叉のエンディングの彼岸花と観覧車のオーバーラップはまさに、彼岸花の学名にぴったりの描写ということになります。

kanransya.jpg

彼岸花は、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれます。これはインドのサンスクリット語の音を漢字に当てはめたものですが、日本大百科事典 小学館 の曼珠沙華の項目には、次のようにありました。

インドの仏教伝説に現れる天界の花。曼殊沙はサンスクリット語のマンジューシャカの音写。神々が下界へ意のままに雨のように降らせることから如意花{にょいか}ともよばれ、その純白の花を見る者は黒い悪業{あくごう}を離れるという。日本では秋の彼岸{ひがん}のころに墓地などに咲く赤いヒガンバナの別名となった。

しかし、これは誤りであると思います。曼殊沙華は、仏教に出てくる四華の一種の紅蓮華のことのようですから、もともと赤い花なのだと思います。

四華とは、天上に咲くといわれる四種類の花のことで、
白蓮華 大白蓮華 紅蓮華 大紅蓮華 の四種類なのですが、「大」がついているのは単に大きいという意味ですから、まあ、白蓮華と紅蓮華の二種類を考えればよいと思います。

白蓮華は、曼陀羅華(マンダラゲ)のことで、紅蓮華が、曼珠沙華(マンジュシャゲ)のことです。大日本百科事典は、曼陀羅華と曼珠沙華がごちゃまぜになってしまったのかもしれません。

中野のブロードウェーにある有名な漫画ショップ「まんだらけ」は、恐らく「曼陀羅華」から名前を拝借したのでしょうね。

曼陀羅華(マンダラゲ)は、和名ではチョウセンアサガオ・別名キチガイナスビなどともよばれるもので、学名では、Datura metel L 
このDatura(ダチュラ) には、スコポラミンというアルカロイドが含まれており、これが強力な幻覚作用を引き起こすそうです。ダチュラの幻覚作用については、村上龍のコインロッカー・ベイビーズ でもお馴染みですね。

曼珠沙華(マンジュシャゲ)にも、「リコリン」というアルカロイドが含まれており、これも猛毒です。しかしこれを水でさらすと、毒の成分がぬけ、根の部分は良質なデンプンとして食用にもなるそうです。

ところで、曼珠沙華(マンジュシャゲ)は、万葉集に壱師(イチシ)という名で登場するという説があります。

万葉集 巻11・2480番
路の辺の壱師の花の灼熱(いちしろく)く、人皆知りぬ我が恋妻を

こんにち、「壱師(イチシ)=彼岸花である。」というような説は、大日本百科事典をはじめ、広く一般に流布しているのですが、しかし、角川の古語辞典や広辞苑などでは、壱師(イチシ)のことを、「たで科の野草、ギシギシの古名。また、エゴノキ、クサイチゴなどとも・・・」と書かれているだけで、彼岸花については全く触れられていません。(これらの花は赤くはない)

実は、「壱師(イチシ)=彼岸花」説を唱えたのは、植物学者の牧野富太郎で、植物知識という本に、

『万葉集』にイチシという植物がある。私はこれをマンジュシャゲだと確信しているが、これは今までだれも説破したことのない私の新説である。

と書いているのですが、これといった根拠は述べられていません。これからすると、「壱師(イチシ)=彼岸花」説は、それほど信憑性があるものではないように思えます。

植物知識
植物知識 牧野富太郎著 講談社学術文庫


長々と、「りこりす」について引っ張ってきたわけですが、まあ、こういうのを発見したわけです。

Lycoris radiata








2006/10/05

らんま/考 彼岸花=壱師(イチシ) 説の怪
http://ranma.seesaa.net/article/25056325.html
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2006年07月17日

Cosplay Kanimecon (ブラジル)



とにかく盛り上がっているのだけは分かりました。

Kanimecon は、カニとアニメを掛け合わせているようです。

リンク
http://www.okigames.com.br/news07.htm
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2006年04月15日

犬夜叉 (Adult Swim)のCM



SwimCon 2 2007/3/5追加


Adult Swim というテレビ局のCMのようです。アダルトと言っても別に、あれな番組をやっているわけではなくて、犬夜叉などのアニメを放送しています。
アメリカでは、犬夜叉などは暴力シーンが多いために、子供の時間では放送できないようです。

http://www.adultswim.com/shows/inuyasha/index.html
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2006年01月26日

「犬夜叉と桔梗」愛・遥かなる時の涯--今度はドイツ

inu-derfilm-klein.jpg

A Love Beyond Time


Inu Yasha around the World [THE ORIGINAL!]

2006/7/17 追加

映像元は両方ともに
http://www.kaze-no-kizu.de/
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2005年12月30日

ステロタイプの思考ポーズ

inuyashathought.jpg

機動戦艦ナデシコ 23話 『故郷』と呼べる場所
nadeshico.jpg
大勢の客の注文を一度に処理する、ミスマル・ユリカ

攻殻機動隊 Stand Alone Complex 1.15 機械たちの時間
koukaku.jpg

「僕は嘘しかつかない」 という自己言及のパラドックスを解くように迫られて、ステロタイプの思考ポーズで、考え込むオペレーターロボット。

ところで、この「僕は嘘しかつかない」という自己言及のパラドックスは、ギリシアの「エピメニデス(前6世紀)」が最初に提示したものだと言われています。
そして、その最も有名な例が、新約聖書の「クレタ人は嘘つきである。とクレタ人は言った」です。

新約聖書 テトスへの手紙 1.12-1.13

彼らのうちの一人、預言者自身が次のように言いました。
「クレタ人はいつもうそつき、悪い獣、怠惰な大食漢だ。」
この言葉は当たっています。


仮に、「クレタ人は嘘つきである」ということが事実ならば、嘘つきのクレタ人が本当のことを言ったことになってしまいます。逆に、実際は「クレタ人は正直者」であるならば、正直者のクレタ人が、「クレタ人は嘘つきである」と、嘘を言ったことになってしまいます。

R.O.D -READ OR DIE 3 読子さん、ピンチですよ。
rod.jpg
ウェンディ・イアハート

参照リンク
真の哲学体系を求めて
第9章 エピメニデスのパラドックスの真の解法



第10話 涼宮ハルヒの憂鬱IV 
haruhi.jpg
朝倉涼子

第11話 涼宮ハルヒの憂鬱 射手座の日
haruhi11.jpg

涼宮ハルヒは、艦隊による交戦の前に次のようなことを言います。
本日天気晴朗なれど波高し、皇国の興廃この一戦にあり。・・・
これは、日露戦争の時に、日本海軍連合艦隊とロシア海軍バルチック艦隊との間で行われた、日本海海戦の時の通信の模様です。

本日天気晴朗なれど波高し
これは、秋山真之が、日本海軍連合艦隊の旗艦「三笠」から大本営に向けて打った電報です。
皇国の興廃この一戦にあり
この部分は、東郷平八郎元帥が、旗艦「三笠」から、全艦に向けて発した指令で、これは、Z旗による信号が用いられました。

ところで、ハルヒは、コンピュータ研の会長とのやりとりの場面で、
神聖にして不可侵な象徴たる存在、それがSOS団の団長なの・・・
と、キョンに力説していますが、これは、大日本帝国憲法 第3条(神聖不可侵)
天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
というものと、現在の日本国憲法 第1条(天皇の地位)
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
とが組み合わされているようです。

参考 日々の雑文
http://www.k2.dion.ne.jp/~aki-kan/C10_3.htm

2006/6/20 追加


みなみけ おかわり 9杯目 桜場コハル テレビ東京
そろそろ苦しい? ひみつのマコちゃん

内田ユカ
内田ユカ

2008/3/5 追加
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2005年12月22日

「犬夜叉」お姫様の結婚の条件

「うる星やつら」 や 「らんま1/2」 でも、「お姫様の結婚の条件」というモチーフが使われていたのですが、犬夜叉 でもこのモチーフが使われています。

犬夜叉 01.08 帰還 高橋留美子 小学館
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犬夜叉は「火鼠の毛で織った衣」を、かごめに被せてあげます。「火鼠の毛で織った衣」とは、竹取物語に出てくる「火鼠の皮衣(かわぎぬ)」のことですが、これはかぐや姫が結婚の条件として、阿倍御主人(あべのみうし)に持ってくるようにと言いつけた品です。

竹取物語では、阿倍御主人(あべのみうし)は、大金をはたいて中国からこの品を取り寄せますが、これを火にくべてみたところ、あっさりと燃えてしまいこの品が贋物であったことが判明します。

犬夜叉 02.03 魂移し(たまうつし) 高橋留美子 小学館
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犬夜叉がかごめに被せてあげた衣は、結羅(ゆら)の鬼火髪(おにびぐし)にもびくともせず、かごめを守ります。

つまりこれは、犬夜叉がお姫様の結婚の条件をクリアしたということに他なりません。



ところで、火鼠の皮衣は、中国の崑崙山(こんろんざん)で産するという、火浣布(かかんふ)のことではないかと言われています。崑崙山は、弱水という川と、炎を噴出する山に囲まれていて、山の上の動植物は、火炎の中で生まれ大きくなるそうです。これらの動植物などから作られたのが、火浣布(かかんふ)であると言われています。(捜神記)

しかし、この火浣布(かかんふ)は、実際は石綿のことだったのではないかといわれています。マルコ・ポーロの東方見聞録の、ギンギンタラス地方の記録に、西洋では、サラマンダーの毛から作られるといわれている燃えない衣は、実は鉱物から作られたものである。と書かれています。そして、この布が汚れたならば、火にくべると汚れだけが燃えて、布は雪のように真っ白になる。と書かれています。

更に、江戸時代には、平賀源内が石綿からこの布を作り、「火浣布略説」という本を書いています。

火浣布略説 平賀源内

火浣布。また、火毳(かせい)ともいう。「浣」の字、「瀚」の字に同じく。
物を洗うことにて。この布汚るるときは、火に入れて焼けば、垢は悉く焼落て布は少しも損ぜず。さながら火にて浣(あらう)がごとくなるゆえ、名づけて、火浣布という。
・・・・
神異経(しんいきょう)にいわく、南荒(なんこう)の外、火山あり。長さ三十里、広さ五十里。其の中、皆、燃えざる木を生ず。昼夜、火燃ゆ。嵐、風、強き雨にも消えず。火中、鼠あり、重さ百斤。毛の長さ二尺余。細いこと糸のごとし。これを以って布に作るべし。常に火中に居れば、色赤し。時々外に出て色白し。水を以ってこれをすすげば即、死す。其の毛を織りて布とす。火浣布と名づく。
・・・・
この物、唐土にては識ることを知らず。ただ西域より希に渡りたるもの故。唐人も知らずして。或いは、火山蕭丘(しょうきゅう)にある火鼠の毛。または、木の華。或いは木の皮等にて織りたるものといえるは、大なる誤り也。蕭丘(しょうきゅう)、火山、火ありて常に燃ゆれども。是は即ち陰火(いんか)また、寒火(かんか)ともいいて、常の火のごとく物を焼く火にあらず。抱朴子(ほうはくし)に曰く。蕭丘に自然の火あり。一種の木を生じて、小さく焦げて黒し。陸游(りくゆう)が曰く。火山軍其の地、鋤耘(すきくさぎり)て、深く入れば、烈焔(ほのお)ありて種植(さくもつ)を妨げずと。

按ずるに、我が邦、越後妙法村に出る火の類にして。物の焼かざる陰火なり。其の陰火中に生じたる、鼠にもあれ、木にもあれ、常の火に入るときには焼かざるといういわれなし。然(そ)を理に暗き唐人ども。火に陰陽の二火ある事に心つかず。もとより火浣布は、外に一種の物を以って製する事を知らざる故。かかる不稽(ふけい)の説をなす。大いに笑うべきにたへたり。

又、我が邦にては、古(いにしえ)より名のみ伝えて、其の物を見し者もなき故に、竹取物語にも火鼠(ひねずみ)の裘(かわころも)とて至ってなきものの譬えとすれば、我が邦もとより其の形状(かたち)を見る者さえなし。

予この物、織べき事を考え出して。過し申(さる)の如月(きさらぎ)半(なかば)、創(はじめ)て製(せい)し出す。同じ年の三月、紅毛人(オランダじん)、東都に来る。官儒青木先生対話の序を得て紅毛人に見せけるに。カビタン・ヤンガランス、書記・ヘンデレキ・デユルトウフ、外科・コルネイレス・ポルストルマン。など大に驚いて曰く。この品、紅毛天竺をはじめ世界の国々にても織法を知らず。トルコランド、という国に昔、一人ありて織出せしが、かの国、乱世続きて織伝を失えり。故にこの物絶えて希なり。

火浣布の名を、ラテイン語にて、アミヤントス。また、アスベストス、ともいえり。ラテイン語とは、紅毛国の雅言(がげん)なり。常の紅毛語にては、ステインフラス。又、アアルドフラス、ともいえりと。委しくは、しかつとこうむる。デル・ゲネイシエン・ナテユウル・トンデキサアカ・ウヲイト。一名レキシトン・ハン・ウヲイト、といえる紅毛の書に出たり。
・・・・

(読みやすいように少し手を入れました。)
早稲田大学図書館 古典総合データベース
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0288/

こうしてみると、本来、火鼠の皮衣(かわぎぬ)の色は、純白ですから、犬夜叉の着物よりも殺生丸の着物に近いようです。(竹取物語では、金青(こんじょう)とある)

しかし、こんなところで、「アスベスト」という言葉が紹介されていたとは・・・


余談ですが、竹取物語は、結婚の条件をモチーフにした話ですから、本来ならば、大伴御行(おおとものみゆき)が、龍の首の玉をとってきて、かぐや姫と結婚するというのが、本筋なのですが、どういうわけか彼も龍退治に失敗してしまいます。

参照リンク
「うる星やつら」の博物誌 かけめぐる青春
「らんま/考」 お姫様の結婚の条件
posted by ranma at 03:30 | TrackBack(0) | 犬夜叉 について | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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